キイロイセカイ 

豪州からこんにちは。クセ強すぎ夫と愉快な子供達との前途多難な日常生活

オーストラリアの賃貸事情①家なし生活編

こんにちは。

 

こちらは今日雨模様です。我が家は家に入るのに短い急な坂もしくは階段を上がっていくのですが、水捌けが悪いせいか雨の時や雨の後しばらくは滑って危険です。先週夫が階段で盛大に転んだらしく、サンダル履きだったので足の指を負傷し血まみれになってました。「ゴミ捨てに行っただけなのに・・」と。笑

笑い事ではないのですが、その姿がなんともシュールで心配に思いながら、内心ちょっと笑ってしまいました。(ごめん)

 

さて今日はオーストラリアの賃貸事情についてです。日本から始まった家探しから実際住むまで、そして住んでからの事とちょっと長くなりそうなので、シリーズ化して時系列で書き綴っていきます。

 

始まりは家探しから

渡豪が正式に決まって、まず決めなければならなかったのが住む所です。そこで、様々なサイトから物件探しをしました。最初に感じたのが

「高い!高すぎる・・!!」

という絶望に近い驚愕でした。オーストラリアは通常家賃は週払いなのですが、表記されている家賃にコレ月の賃貸料じゃないの?と何度目を疑ったことか。(それだと安過ぎるけども)

これは世界規模で言える事かもしれませんが、オーストラリアは年々家賃が上がっています。国土面積およそ769万㎢、実に日本の約20倍という世界第6位の広さを誇るオーストラリア。広大な土地を持ちながら、総人口2600万人と人口が減り続ける日本(1億200万人超)と比較しても人口の少なさが分かります。が、オーストラリアは自然環境保護の為に居住開発可能エリアが国土の割に小さく、人が生活している地区は大体範囲が決まっていて、集中的に人口密度が高まる事で賃貸物件不足に陥るんですね。他にも戸建信仰が根強かったり、住宅供給のスピードの遅さだったり理由は色々ありますが、移民が多かったり、コロナ後から急激に増えたワーホリや留学生の影響もあり、最近ではカナダなんかも住む場所の確保が困難になってきて留学生の制限が決まりました。

私達のように勝手に来て受け入れて貰っている側からすれば致し方ないんですね。

探してみても安めの所は、シェアハウスなどの単身者向け。二人の幼い子供がいて、更に子供が毎日通う小学校や保育園の近くとなるとかなり選択肢が狭くなりました。ちょっと離れた所からバスで通う?と考えましたが、長女の小学校校区内に住まなければならない条件があり、範囲が限定されます。

狭いしボロボロそうだけど、とりあえずないよりマシ!となんとか支払える程度の物件を探し、不動産業者へ連絡した事もあるのですが、なんと一度内覧しないと契約は出来ないとの事。他にも数件連絡を取りましたが、すでに契約済みやそもそも返信がない所もあり、これにはかなり幸先不安にさせられました。という事は、現地についてから内覧、契約、引っ越し。それまでの期間どこかに住む場所を確保しなければなりません。しばらくはホテルしかないと思いますが、では何日の予定で予約すればいいのか。

家族4人で泊まる部屋を数週間?・・もしかして数ヶ月・・?

それはかなり大きい出費でしたし、私が最も心配したのが子供達の食事です。

 

家なし多拠点生活開始

物価の高いオーストラリアで3食外食にするわけにもいかないし、日本のように簡単で安価なお弁当や外食は出来ません。それに栄養面や体調面も気になりました。慣れない海外生活で慣れない食事を続けさせられない。そこで、ホテルは数日滞在にして、簡易でもいいのでキッチン付きの滞在先を探しました。同時に家探しもしなければならないので、あまり郊外すぎると不便だし、高級過ぎるところも厳しい。と、これもなかなか難航しました。

初回の記事で書きましたが、私達は日本からの派遣社員ではないので着いてすぐ収入を確保出来るわけではありませんでした。当然家賃手当や滞在先のサポートなども一切なく、しばらくは貯金を切り崩しながらの生活になります。生活の基盤が出来るまでは可能な限り節約したいというのが実状でした。なるべく安く長期滞在出来て、子供達にとって安全に過ごせる場所。

自炊が出来て、洗濯も出来るところ。着いてすぐは移動の疲れもあるので一旦ゆっくりしたいと思い、2日間のホテル滞在を経てアパートメントホテルへ移動しました。

結果的に、私達は家が決まるまでの約1ヶ月計5ヶ所の宿を点々とする事になりました。

▲二日間滞在したホテルからの風景。見つからなくて彷徨いました・・

 

本日もお読み頂きありがとうございました。

 

オーストラリアの紫外線対策とUVケア偏愛

こんにちは。

 

今日のオーストラリアの私が住む地域は最高気温36℃です。

大体14〜15時頃が1日の内の最高気温ですが、ちょうどその時間に子供達のお迎えなので毎日暑さに悶絶しています。暑さもですが、私にとって一番問題なのが紫外線

オーストラリアの紫外線は日本の約5倍だそうです。以前住んでいたシンガポールも赤道直下に位置し、一年中暑く強い紫外線が有名ですが、オーストラリアも同様に紫外線が強い国で、その対策が必須です。

というのも、世界で皮膚癌発生率が一番高い国がオーストラリアなんですね。ここに来るまで知りませんでした。確かに、専門の病院が多くどこにでもある印象を受けます。元々白人は紫外線に弱く、オーストラリア人の3人に2人は70歳までに皮膚癌を発症し年間1900人ほどがそれにより死亡しているそうです。

そこでオーストラリアでは、紫外線による健康被害予防促進のために「Sun Smart Program (サンスマートプログラム)」が組まれていて、「Slip,Slop,Slap,Seek,Slide」という5Sがあります。

Slip on a long sleeved shirt.(長袖のシャツを着る)

Slop on some sunblock.(日焼け止めを塗る)

Slap on hat that will shade our neck.(首まで陰になる帽子を被る)

Seek shde.(日陰を探す)

Slide on sunglasses.(サングラスをかける)

オーストラリアでは子供への紫外線対策に関する指導が徹底されていて、5Sで子供達が紫外線から身を守る行動を示しています。サングラスをかけている子供はあまり見ませんが、帽子と日焼け止めは外出時に必須です。我が家の長女は小学生ですが入学時に教科書などの教材と一緒に日焼け止めが含まれていました。保育園に通っている長男も外遊び前に日焼け止めを塗り直して、何時に塗ったかなど保育士がその都度記録してくれ、保護者はアプリで確認できるようになっています。公共の公園でも遊具がある場所には屋根やシェードがあり、これは国の規定らしいですね。

そんなわけで、毎日紫外線対策を頑張っているおかげか特に長女は日本で一夏を過ごした時より日焼けしていません。焼けてはいるけど、服の境目にはっきり線が残っていた時とは違うなという程度で。オーストラリアの子供達は赤ちゃんの頃からそんな生活なので、2歳くらいの子でも自分で日焼け止めを塗る習慣があるみたいで、顔が真っ白になっている子とかよく見かけます。うまく伸ばし広げられてないんですね。笑 帽子を嫌がる子も全然見かけません。でも子供は凄く汗をかくし、長袖を着せる訳にいかないし、どうしても完璧には予防できないのが現状です。

でも私は大人。紫外線予防に余念がなく、高校生の頃から徹底した対策をしてきた自負があります。10代で日傘を持ち歩いていたのは私だけ、周りに一人もいませんでした。今のようにシンプルでお洒落なものは少なく、高齢女性が好みそうなフリルのついたデザインがメインでしたが、マシなものを探しまくり人目も気にせず使ってました。

それまで健康的な象徴のようだった小麦肌から、一大旋風を巻き起こした黒ギャル時代へ移行し、のちにそれが終焉の兆しをみせ、私が高校生当時は空前の美白ブーム。(これをいうと年齢がバレそうですが笑)真っ白で有名な女性美容家もいらっしゃいましたよね。私も当然その影響を受け、真夏でも長袖を着て登校していました。その頃には強めの日焼け止めがどこにでも簡単に手に入るようになり、絶対に焼かないと謳ったCMを頻回に目にするようになりました。UVカット加工という言葉も今や一般的ですよね。学生の頃は体育祭なんかもあり、半袖短パンで長時間外で過ごさなければならず苦痛で仕方なかったです。当時の日焼け止めは今よりもっと塗り心地が悪く、軋み感というかとにかく不快でした。匂いもきついし、伸びも悪いからムラになる。それでもせっせと塗りたくって、タオルを頭から被り靴下焼けしないように限界まで下げ、体育座りで校庭に並ばされた時は体操服に両腕両足を仕舞い込み、だるまのように小さくなっていました。笑

必死の抵抗が懐かしいです。ちゃんと授業を受けろという感じですが、思春期のキイロはそれどころではなかったんですね。その甲斐あって(?)か、沖縄の海で遊んだ夏も、シンガポールで過ごした期間もほとんど日焼けせず紫外線予防の習慣が身についています。帽子すら被らず、日焼けに対し全く意に介さない夫は狂人じみた妻を異様に感じている事でしょう。(もう慣れたみたいですが)

というのも、私はどうやらメラニン色素が過剰に反応するタイプらしく、すぐシミになってしまうんですね。とにかくそれが嫌で。そばかすが広がった顔が凄く可愛らしい人もいますが、私はそうゆうタイプではないので焼かない一択です。

紫外線対策に関しては並々ならぬこだわりがあるので、つい話が飛躍しました。本当はもっと熱弁したい事があるのですが、多分誰も興味ないので割愛します。興味があれば是非コメント下さい。語り合いましょう笑

話は戻りますが、オーストラリアの紫外線対策です。これは見た目の問題だけでなく、命に関わる事なのでやはり必要なんですね。でもまだオーストラリアで好みの日焼け止めを見つけられていません。子供達も使うので、安全で塗りやすく、なるべく安価で大容量の物が好ましいのですが。今はとりあえず長男の保育園でも使っているポンプ式のものを使っています。

SPF50+で子供と一緒に使えるポンプタイプ


外出時は塗り直せるように小さな容器に入れ替えて持ち歩いています。繰り出し式のバーム状のものは日本で購入したパウダーinのもの、WHOMEEのエイジングケアUVカットジェルはSPF30なので室内用で、日本では冬でも毎日使っていました。塗り心地最高ですが、真夏のアウトドアには心許ないかな。ユニクロのUVカットアームカバーは二つ持っていて、どこに行くのも一緒の最高の相棒。ちょっと肌寒い時もつけちゃいます。他にも100%UVカット加工の日傘や、帽子、サングラス、サプリなんかも駆使し紫外線から身を守っています。こんな姿でうろついているのは私だけです。みんな水着で歩いてる?レベルで薄着だし、そもそもオーストリアにはあまり良い紫外線対策グッツがありません。日本製が素晴らしいです。それなのにわざわざ手間と時間とお金をかけてここに来ました。その理由については後々書き残していきます。

 

本当はもっともっと沢山色んな対策をしているのですが、こうして文章にするとちょっと異常じみて気がしてきたのでこれくらいに。でもやっぱり続編やりたい。笑

 

本日もお読み頂きありがとうございました。

 

看護師に求められる身だしなみ

こんにちは。

昨夜ソファで座ったまま寝落ちしてしまい、気づいたら朝でした。

昔から睡眠オバケに取り憑かれているのではと思うほどよく眠るタイプなのですが、年齢を重ねると眠れなくなると言ったのは誰だったかな。特に独身の頃は、床でもお風呂でも車でもどこでも眠ってしまう事がよくありました。結婚してからは気をつけるようにしていますが、それでもベッド以外の場所で寝落ちしてしまう事はしょっちゅうです。夫はもう慣れたようで何も言いませんが、眠りの浅い彼には信じられない事らしいです。どうにかならないかなぁ。

 

さて、昨日は長男の出産について書きました。コロナでどこにも行けなくなったと締めくくりましたが、世界中の人がなんらかの形で大変な思いをして、亡くなった方も大勢いて、今でも全てが過去の事と簡単には言えません。なので、ここではコロナについてはこれ以上言及するのはやめておきます。長男誕生からオーストラリアへ移住するまでの経過はまた追々に。

 

今日は、看護師に求められる身だしなみについてです。

「身だしなみとは相手に不快感を与えない服装や振る舞い」のことだそうです。

看護師だけでなく、様々な業種でそれぞれ規定があると思いますが、一般的な病院勤務の看護師は大抵の場合院内規定で見た目のルールがあります。アクセサリー類の禁止や髪型や化粧、ネイルや下着・靴下の色、病院によっては通勤時の服装までルールがあったりします。私達は基本制服に着替えるので、通勤時は自由でいい気もしますが、病院近隣に住む患者さんやその家族や色んな人に見られる可能性があり、やはり印象が悪くなるような服装は控えるようにと言う事ですね。公務員とかもそうなのかな?最近はあまり厳しくない病院もあったりしますが。

ネイルについては、直接患者さんに触れる事が多い性質上危険なので短くカットし、清潔にしておく事は必要だと思います。ポリッシュも、剥がれて患者さんの傷なんかに付着しては大変なのでこれも容易に理解できますね。最近では保護の目的で、自爪に近いカラーなら剥がれにくいジェルネイルは許可している所もあります。

では髪型はどうでしょう。下を向いた時に髪が落ちてきたり、処置の邪魔になるような髪型は良くないですね。長い髪は結んで、前髪や横髪も落ちてこないようにします。でも髪色はどうですか?私が以前在籍していた公立病院では、髪色のサンプルがあり、カラーするならここまでと決められていました。一体何の為のルールなのでしょうか?患者さんのケアには直接害を与えないものと思いますし、手術室看護師などはキャップで頭部を覆うので全く見えないという場合もあります。看護師の髪色、決める必要ありますか?

でも・・やっぱり必要なんでしょうね。慣れの問題かもしれませんが、特殊な髪型の看護師が来たらちょっとびっくりしますよね。この人に注射されて大丈夫かなとか不安になりますよね。これはもう仕方ないんだと思います。感覚的に違和感を感じるんだから仕方ない。それぞれの立場で似つかわしくないものがこの世には存在します。

私は高校卒業後に看護学校へ行き、そのまま看護師になったので、ずっと奇抜な髪型はできませんでした。中学、高校も髪型に厳しかったです。看護学校なんて暗めの茶髪程度もダメでしたし、化粧も基本ダメでした。なのでずっと憧れに似た欲求がありました。抑制されると余計にやりたくなるのが人の性でしょうか。長く爪を伸ばしてキラキラしたネイルもしてみたい。でもこれはフットネイルをしていたのでまぁ満足していたのですが、髪型はそうもいかない。カラーだけでなく、纏めやすいようにカットしてきたし、黒や茶色のヘアゴムだけは数えきれないほど使ってきました。そんな私に転機が現れたのが、妊娠です。正確には産休育休です。期間限定ではありますが、職場に行かないので見た目を自由にできる期間を得たんです。妊娠中のカラーは良くないとか諸説あるので、あくまでも私個人の話ですが、この機会を逃すまいとこの時期に初めて脱色しました。そして超どピンクにしました!

どうなってもいいから激しい色にしてみたかったんです。

当時の写真があります。

初めてブリーチしてピンクにした時

産後太りで恥ずかしいですが・・笑

すぐに色が抜けてしまったんですが、凄く嬉しかったです!ちょうど免許証の更新時期だったので記念にこの状態で証明写真も撮りました。笑

この後、青にしたり色々遊びました。産後かなり髪が抜けてしまったんですが、約一年自由にできたことで心から満足し、二人目の産後は何もしませんでした。当然かなり傷みましたしね。母親らしくない!とか批判もあるのかな?でもこの後すぐシンガポールへ行ったので、全く気になりませんでした。一つ問題といえば、髪が派手なので持っている服と合わなくて常にシンプルな無地の服になった事くらいかな。凄く楽しかったです。

 

化粧や身に付ける物もそうですが、その時の気分で自分の好きに選択し好きに着飾る事は心の満足に繋がりますね。せっかくお気に入りを着て新しいメイク道具で化粧したんだから、ちょっと出かけてみようかなとか。新しい靴を買ったから、髪を切ったから、ネイルを変えたから・・会いたいあの人に会ってみようとか、今日は少し遠回りして帰ろうとか。人間にしかない感情なのかなと思います。

何かを変えるだけではなくて、例えばずっとお風呂に入れなかった患者さんの髪を洗うとか、丁寧に体を拭くとか、さっぱりして気持ちよく、気分も良くなっていつもよりゆっくり眠れたとかあるんですね。身の回りを整えること、好みにすることは気分転換になったり、その人のQOLを高める効果があると感じています。

 

話が飛躍した気がしますが、要は必要な身だしなみと欲求が人間には備わっているという話です。患者さんに信頼してもらえるように身だしなみを整えて、患者さんの身の回りのケアをする。看護師が身だしなみを整える必要があるのはそんな理由があるなと思ったのでした。

 

ではまた明日。

 

お読み頂きありがとうございました。

 

海外で2人目妊娠。帰国、出産、そしてコロナ

こんにちは。

昨日、日本では季節外れの陽気で2月と思えない気温だった様ですね。

日本の皆さん体調いかがですか?我が家といえばオーストラリアは真夏だというのに、私だけせっせと日本から持ち込んだヒートテックを着込み、レッグウォーマーなんか履いて寝ています。家族と体感温度が違いすぎて、辛いです。

 

それというのも、前回のお話に続くんですが、私は元々冷え性ではあったけれど産後それが特に強くなりまして。もうとにかく寒い。もちろん暑い外にいる時はみんなと同じように暑くて汗も流れ出てきたりするのですが、エアコンの効いた室内は寒くて寒くて。この異常なまでの寒気は長女の産後から始まりました。シンガポール在住中、夫と長女は暑いのでエアコンをつけるのですが、私は寒くて一人服を着込んで毛布にくるまっていました。スーパーやショッピングモールなども寒くて必ず上着を持参しています。筋力がなさすぎるのか、体質が変わってしまったのか、ホルモンバランスが崩れたせいなのか・・よく分かりませんが、産後数年経った今でも相変わらず続いています。

 

海外在住中の妊娠発覚

長男はシンガポール在住中に妊娠しました。検診は、現地の日本語対応の病院に通っていました。妊娠発覚から間も無く、つわりが始まりました。長女の時はつわりがほとんどなく、吐いたり食べられなくなったり、逆に食べすぎたりすることもなく、多少のマイナートラブルはあったものの終始元気でした。それもあって、長男妊娠中のつわりは信じられない気持ちでした。とにかく毎日起き上がれないほど体が怠く、常に吐き気もありました。それで健診の際、医師に伝えるとつわりの薬を処方されました。

つわりの薬があるのをご存知ですか?あまり聞きなれないと思うのですが、実は日本では未承認の薬なんです。世界的にはこの薬の登場で、妊娠悪阻(重度のつわりで栄養代謝障害や脱水を起こしたりすること)で入院する妊婦が激減したそうです。そんな素晴らしい薬が何故日本にはないんだ!と当時同時期に妊婦だった友人から羨ましがられました。

シンガポールで処方されたドキシラミンというつわりの薬です。

妊婦のシルエットが描かれてあって可愛いなと思ったり、名前が強そうだなと思ったり。

効果はと言うと、私ははっきりと楽になった感覚はありませんでしたが、マシになった様な気はしました。凄く効果があった!という方もいるのでしょうかね?

マシな気がするとはいえ、まだ1歳の長女の世話もあり、一日中寝込んでいるわけにもいかず、頼れる家族や友人もいない海外生活で、辛すぎて当時の記憶が曖昧です。

ただ、見かねた夫が朝出勤前に長女を散歩に連れ出してくれて、帰りもなるべく早く帰ってきてお風呂に入れてくれたりしてなんとか乗り越えました。この頃から夫が一人で長女の世話をする機会が増えました。それまでは、まだ授乳中だったこともあるし、私が長女のほぼ全ての世話をしていました。今思うと、初めての育児で私も手探りで不安だったし、夫に赤ちゃんの世話を任せることをしてなかったんですね。私はたっぷりと赤ちゃん期を楽しませてもらいましたが、夫からその機会を奪ってしまっていた気がしています。それに気がついたので、辛かった妊娠期間も今思えば我が家にとっては必要な時間だったのかもと思うようにしています。

世の中の母親の多くが、夫が育児に参加しないとかそれなのに家事も全くしないとか、不満に思いがちですが(私もそんな風に思ったことがあります)一緒に子育てしていく機会と意識を持つように勧めていくのも必要なのではないかと思います。同じ親なんだから、言われなくてもやってよ!と思うこともあると思いますが、役割分担して、信頼して任せることも大事な気がします。

 

日本へ帰国した理由

ともあれ、なんとかピークを越え出産も控えた頃私達は日本に帰国しました。色々考えたのですが、シンガポールで出産するメリットが何一つない事が最終の決め手でした。一つは出産費用の問題。外国人の私達は当然国の補償を受けることが出来ず、出産費用はおおよそ100万円ほど(場合によってはそれ以上)かかると言われました。長女が難産だったと前回のブログで少し触れましたが、色んな処置があったので日本で産んでも出費が嵩みました。万が一帝王切開になって手術なんかになった場合、恐ろしく費用がかかるのではないと震えましたね。もう一つは、シンガポールが「血統主義国」である事です。この事をそれまで全く知らなかったのですが、世界には「血統主義」と「出生地主義」があるんですね。つまり、両親ともに日本国籍の場合、シンガポールで出産しても二重国籍にならないと言う事です。もし子供が二重国籍なら、本人が将来日本を出たいと思った時に国籍を選択できるので、子供の将来の選択肢を増やしてあげられるなと漠然と思っていたんです。ただそれがこの国では出来ない。日本に戻ろうと決めた瞬間でした。夫は自分の店を閉め、また戻ってこようと話し帰国しました。

 

帰国後、そしてコロナ

帰国後、祖母の死去や、また難産だったり、長男が新生児黄疸で入退院を繰り返したりと大変な思いもしましたが、無事に出産を終え自宅育児も軌道に乗り始めた頃でした。

その後長きに渡り世界を震撼させ悪き歴史として今も記憶に新しい、新型コロナウィルスが国内で初めて確認されたんです。

それから3年近く私達は日本から出ることが出来なくなりました。

 

長くなってしまいました。続きはまた明日に。

 

ここまでお読み頂きありがとうございました。

 

我が家の事情 ちょっと過去に遡って。

こんにちは。

今日も例に倣って暑いオーストラリアです。

日中の最高気温は30度でした。平日は毎日15時頃に、それぞれ小学校と保育園へ通っている子供達をお迎えに行きますが、これがなんとも辛い。家まで歩いて10分程ですが、ちょっとした距離でも汗が流れて目に入って痛い思いをしたり。これは暑い日本の夏でも同じなのかな。

 

さて、今日から我が家の内部事情(?)に少し触れていきます。

私は九州出身、二つ年上の夫は関西出身です。子供は年子の姉弟の四人家族です。

子供達は二人とも関西で産まれました。長女が5ヶ月の時にシンガポールへ移住して、長男はシンガポール在住中に妊娠しました。長女の妊娠中、夫はシンガポールにいて、私は日本で働いていました。結婚して5ヶ月で妊娠し、その後すぐに別居になったんですね。

私がこの時点で仕事を辞めるつもりがなかった事と、夫の仕事の関係で海外転居が重なった結果です。新婚で別居、初妊娠中、しかも日本と海外なんてと今になって思いますが、私は当時これが結構快適でした。

夫婦二人だけの頃は、不規則で夜勤もある私の仕事上すれ違いも多く、昼頃起きて家事をして夫の夕食を作り置きしてから夜勤に行くという生活でしたが、別居してからは自分のことさえすれば良く、仕事以外は本当に自由で、かなり楽でした。夫は家事に積極的なので、強制されたわけではないのですが当時は新婚だったのもあり、私が勝手にちょっと頑張ってたのかなと今は思います。

特にお腹が大きくなってからは、休みの日や夜勤明けは一日中ゴロゴロしていたり、食事も簡単に済ませられて良かったんですね。長女妊娠中はかなり体調が良くて、職場も理解があり結局臨月まで夜勤もしてました。全然辛くなかったです。夜勤がある仕事というと予測もつくと思いますが、私は看護師です。当時の職場は総合病院で産婦人科もあり、24時間出産可能な病院だったので、何かあった時も職場にいた方が安心だったんです。結局何事もなく無事に産休に入らせて貰いました。

この後、かなりの難産であの幸せな妊娠期間はなんだったんだと何かを恨みたくなる様な思いもするんですけどね・・

長男はというと、これが長女の時と違って全妊娠期間中ずっとしんどかったです。まだ赤ちゃんの長女もいて、シンガポールで辛い妊娠期間を過ごしました。

 

長くなったので、海外での妊娠についてはまた次回に。

 

お読み頂きありがとうございました。

豪州からこんにちは。

 

はじめまして、オーストラリア在住キイロと申します。

現在こちらは真夏で、そろそろ秋の兆しが見えてもいいのでは?と願望も込めて、暑い毎日を過ごしています。(日本で言えば春ですね)

 

オーストラリアは通常乾燥していて、日本の夏の様に湿度が高くないから不快感も少なめだと聞いていたのですが、話が違うではないか。

昨年からずっと天候不良で、年末から現在にかけてほぼ毎日雨です。

年末は酷い雷雨が続きました。家の近所で落雷があったり、停電したりと、クリスマスにサンタがサーフィンしているイメージを持っていた私はガッカリでした。

 

さて、何故オーストラリアに来ているかと言う話になりますが、私達は所謂駐在員とかではなく、ただ単に来たかったからと言う理由で昨年家族で日本から引っ越してきました。実は家族で海外生活はこれで二カ国目です。その辺も含めて、なかなか不思議な人生だなと思ったので残して行こうと思い立った訳です。

主に家族の事、仕事の事、海外生活の事、趣味や日々のちょっとした日常を書き綴っていきます。どうぞよろしくお願いします!