キイロイセカイ 

豪州からこんにちは。クセ強すぎ夫と愉快な子供達との前途多難な日常生活

海外で2人目妊娠。帰国、出産、そしてコロナ

こんにちは。

昨日、日本では季節外れの陽気で2月と思えない気温だった様ですね。

日本の皆さん体調いかがですか?我が家といえばオーストラリアは真夏だというのに、私だけせっせと日本から持ち込んだヒートテックを着込み、レッグウォーマーなんか履いて寝ています。家族と体感温度が違いすぎて、辛いです。

 

それというのも、前回のお話に続くんですが、私は元々冷え性ではあったけれど産後それが特に強くなりまして。もうとにかく寒い。もちろん暑い外にいる時はみんなと同じように暑くて汗も流れ出てきたりするのですが、エアコンの効いた室内は寒くて寒くて。この異常なまでの寒気は長女の産後から始まりました。シンガポール在住中、夫と長女は暑いのでエアコンをつけるのですが、私は寒くて一人服を着込んで毛布にくるまっていました。スーパーやショッピングモールなども寒くて必ず上着を持参しています。筋力がなさすぎるのか、体質が変わってしまったのか、ホルモンバランスが崩れたせいなのか・・よく分かりませんが、産後数年経った今でも相変わらず続いています。

 

海外在住中の妊娠発覚

長男はシンガポール在住中に妊娠しました。検診は、現地の日本語対応の病院に通っていました。妊娠発覚から間も無く、つわりが始まりました。長女の時はつわりがほとんどなく、吐いたり食べられなくなったり、逆に食べすぎたりすることもなく、多少のマイナートラブルはあったものの終始元気でした。それもあって、長男妊娠中のつわりは信じられない気持ちでした。とにかく毎日起き上がれないほど体が怠く、常に吐き気もありました。それで健診の際、医師に伝えるとつわりの薬を処方されました。

つわりの薬があるのをご存知ですか?あまり聞きなれないと思うのですが、実は日本では未承認の薬なんです。世界的にはこの薬の登場で、妊娠悪阻(重度のつわりで栄養代謝障害や脱水を起こしたりすること)で入院する妊婦が激減したそうです。そんな素晴らしい薬が何故日本にはないんだ!と当時同時期に妊婦だった友人から羨ましがられました。

シンガポールで処方されたドキシラミンというつわりの薬です。

妊婦のシルエットが描かれてあって可愛いなと思ったり、名前が強そうだなと思ったり。

効果はと言うと、私ははっきりと楽になった感覚はありませんでしたが、マシになった様な気はしました。凄く効果があった!という方もいるのでしょうかね?

マシな気がするとはいえ、まだ1歳の長女の世話もあり、一日中寝込んでいるわけにもいかず、頼れる家族や友人もいない海外生活で、辛すぎて当時の記憶が曖昧です。

ただ、見かねた夫が朝出勤前に長女を散歩に連れ出してくれて、帰りもなるべく早く帰ってきてお風呂に入れてくれたりしてなんとか乗り越えました。この頃から夫が一人で長女の世話をする機会が増えました。それまでは、まだ授乳中だったこともあるし、私が長女のほぼ全ての世話をしていました。今思うと、初めての育児で私も手探りで不安だったし、夫に赤ちゃんの世話を任せることをしてなかったんですね。私はたっぷりと赤ちゃん期を楽しませてもらいましたが、夫からその機会を奪ってしまっていた気がしています。それに気がついたので、辛かった妊娠期間も今思えば我が家にとっては必要な時間だったのかもと思うようにしています。

世の中の母親の多くが、夫が育児に参加しないとかそれなのに家事も全くしないとか、不満に思いがちですが(私もそんな風に思ったことがあります)一緒に子育てしていく機会と意識を持つように勧めていくのも必要なのではないかと思います。同じ親なんだから、言われなくてもやってよ!と思うこともあると思いますが、役割分担して、信頼して任せることも大事な気がします。

 

日本へ帰国した理由

ともあれ、なんとかピークを越え出産も控えた頃私達は日本に帰国しました。色々考えたのですが、シンガポールで出産するメリットが何一つない事が最終の決め手でした。一つは出産費用の問題。外国人の私達は当然国の補償を受けることが出来ず、出産費用はおおよそ100万円ほど(場合によってはそれ以上)かかると言われました。長女が難産だったと前回のブログで少し触れましたが、色んな処置があったので日本で産んでも出費が嵩みました。万が一帝王切開になって手術なんかになった場合、恐ろしく費用がかかるのではないと震えましたね。もう一つは、シンガポールが「血統主義国」である事です。この事をそれまで全く知らなかったのですが、世界には「血統主義」と「出生地主義」があるんですね。つまり、両親ともに日本国籍の場合、シンガポールで出産しても二重国籍にならないと言う事です。もし子供が二重国籍なら、本人が将来日本を出たいと思った時に国籍を選択できるので、子供の将来の選択肢を増やしてあげられるなと漠然と思っていたんです。ただそれがこの国では出来ない。日本に戻ろうと決めた瞬間でした。夫は自分の店を閉め、また戻ってこようと話し帰国しました。

 

帰国後、そしてコロナ

帰国後、祖母の死去や、また難産だったり、長男が新生児黄疸で入退院を繰り返したりと大変な思いもしましたが、無事に出産を終え自宅育児も軌道に乗り始めた頃でした。

その後長きに渡り世界を震撼させ悪き歴史として今も記憶に新しい、新型コロナウィルスが国内で初めて確認されたんです。

それから3年近く私達は日本から出ることが出来なくなりました。

 

長くなってしまいました。続きはまた明日に。

 

ここまでお読み頂きありがとうございました。